Interview With

Hirokazu Tanaka

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SHINESPARKERS :
田中さん、シャインスパーカーズとインタビューを受けてくださり、ありがとうございます。あなたが知らない読者に、紹介していただけませんか。
HIROKAZU TANAKA :

1957年生まれ。1980年エンジニアとして任天堂に入社。1999年退社するまでにアーケードゲームの開発、G&Wの開発、ファミコン、ゲームボーイの音源開発、ゲームソフトの開発に従事して来ました。1999年退社し、現在は株式会社クリーチャーズの代表取締役社長をやっています。

SHINESPARKERS :
「メトロイド」が日本に発売した時から30年以上過ぎました。このゲームに対するあなたの貢献は今日もこのシリーズのインスピレーションの源であり続けています。その時に、このゲームにどう参加したのを説明していただけませんか。
HIROKAZU TANAKA :

メトロイドは任天堂開発一部で制作され、たまたま自分は一部のサウンド担当だったからです。

SHINESPARKERS :
「メトロイド」でのあなたの目標は音楽とサウンドエフェクトの間に隔たりを感じさせないサウンドトラックを作ることでした。まるでプレイヤーが現実の中にいるという感じですね。今日のゲームとは異なり、ファミコンはオーディオチャンネルが少なかったですよね。この限界に取り組みながら、あなたの目標はどう達成できたのかを説明していただけませんか。
HIROKAZU TANAKA :

大げさに考えた事はなく、ただただメトロイドというゲーム内容に相応しい効果音の演出、BGMを
作りたい、とだけ考えただけです。

SHINESPARKERS :
「メトロイド」のブリンスターのテーマはゲームの後のほうの音楽と比べるとより明るく、またそんなに怖くないですよね。そして、後のメトロイドゲームでも使用されました。なぜそのテーマがとりわけ長く生き残ったと思いますか。
HIROKAZU TANAKA :

ブリンスタの音楽はゲームのスタート時のBGMであり、メトロイドというゲームの世界に入りやすくするため、他のBGMとは差をつけたいという思いがありました。
なぜ長くいきのこったか?に関しては、ただ最初に流れたBGMだった、、としか言いようがないと思う。

SHINESPARKERS :
Red Bull Music Academyの講義で、任天堂はあなたの「メトロイド」の音楽へのアプローチが好きではなかったし、曲として暗すぎると感じていたとおっしゃっていましたね。あなた自身はこの批評についてどう思いましたか。任天堂の言う通りにするためにアプローチを変えようと思いましたか。
HIROKAZU TANAKA :

それは翻訳のミスだと思います。そうは言ってなくて、、当時のゲームの音楽はマリオのように基本楽しい雰囲気が主流であり、営業の人とか、そういう人たちからは受けが良くなかったと感じました。そういう風に思われてるだろうなぁ、と感じただけで、会社から直接言われたわけではないです。でも、当時、開発以外の他部署の方々からすると自分達を支えてる商品でありながら、ゲームの中身に関しての理解は薄かったと思います。それは当然で、ゲームソフトの歴史が始まったばかりなので、仕方なかったと思う。

SHINESPARKERS :
あなたが作った音楽に対してあなた自身はどう感じていますか。お気に入りの曲はありますか。
HIROKAZU TANAKA :

これが好き、あれは嫌い、と言うことはないです。個人的には全て好きです。

SHINESPARKERS :
あなたの音楽に動かされて自分のアレンジを作ったファンもいます。ファンが作った音楽は聞いたことがありますか。あなたの音楽をリミックスする人についてどう思いますか。
HIROKAZU TANAKA :

自分から検索して聴くという事はないけれど、Twitter などで知らされることが度々あり、そういう場合はちゃんと聞いています。とても光栄に感じるし、嬉しく思います。

SHINESPARKERS :
音楽を作ったのに加えて、あなたは「メトロイド」のサウンドエフェクトのデザインも引き受けていましたね。例えば、スクリューアタックやサムスがダメージを受ける時の音など、どのようにいくつかの音を考えついたのか教えていただけませんか。 曲と音が一緒に混ざり合うというあなたのこだわりを守り続けるのはどれくらい難しかったですか。
HIROKAZU TANAKA :

制作している時は難しく考えず、とにかく自分の耳が納得するまでプログラムし続けるだけです。

SHINESPARKERS :
ファンにとっては、好きなゲームの舞台裏の様子を知るのは珍しいことです。「メトロイド」に取り組んだときはどのような感じだったのか、その時の働く環境を説明していただけませんか。
HIROKAZU TANAKA :

あまりに昔すぎて記憶は曖昧ですが、任天堂の開発1部の部屋、というだけで、特別な環境ではありません。他のスタッフもたくさんいて、その中の数人がメトロイド担当でした。

SHINESPARKERS :
開発の途中での難しい問題や、良い思い出、ストーリーなどシェアしたいものはありませんか。
HIROKAZU TANAKA :

ほんと、覚えてないです。たくさんゲームに関わって来てるので、メトロイドだけが特別だった事は
ありません。一番大変だったのは、やはり、ファミコンとかゲームボーイの音源の開発でした。

SHINESPARKERS :
あなたは「メトロイド」のオーディオを作っただけということではないですよね。Gamasutraとのインタビューで、ゼベスのエリアは全部あなたが名付けたと言っていました(ブリンスター、ノルフェフェアとツリアン)。これらの名前のきっかけは何でしたか。
HIROKAZU TANAKA :

はい、全て自分がつけました。ただただインスピレーションです。

SHINESPARKERS :
「メトロイド」は映画「エイリアン」シリーズから着想を得ていて、死を思わせる宇宙の生物や「マザー」という悪のコンピューター、脱出の連続といった共通点があることはよく語られています。映画「エイリアン」の音楽に影響されましたか。
HIROKAZU TANAKA :

最初の宇宙船が、真っ暗な宇宙を漂ってるシーンにインスパイアーされました。エイリアンの音楽に影響を受けたわけではなく、映画全体を支配してる緊迫感、緊張感、不安感に魅力を感じました。
いつ何が起こるか?わからないようなムードに影響受けました。

SHINESPARKERS :
「メトロイド」の開発の途中で、チームのあるメンバーがサムスを女性にするのを提案しました。チームは投票を行い、そのコンセプトは通されました。誰がこのアイデアを提案したのですか。また決める前の元々のキャラクターのプランはどのようなものでしたか。
HIROKAZU TANAKA :

んー、これも記憶は定かではありませんが、エンディングを作ってる時、誰かが女性にしたら?と言ったようなきがします。誰だかは覚えていません。

SHINESPARKERS :
ちなみに、あることについて教えて欲しいのですが。原作の「メトロイド」のエンドロールで誤訳されていた名前がいくつかありました。例えば、坂本賀勇さんは「しかもと」になっていました。このせいで、その人たちはゲームでの働きについてきちんと称えられませんでした。「スミ」や「カチョウ」「ヒャッカン」「ゴヤケ」「ペンペン」はだれだったのか教えてくださいませんか。
HIROKAZU TANAKA :

誤訳ではなく、「サカモト」くんは「シカモト」くんであってます。彼は奈良に住んでいました。奈良公園は「鹿」がたくさんいることで有名です。当時スタッフの一部の人は彼を「シカモッチャン」とよんでました。当時の彼のニックネームです。スミ、カチョウ、ヒャッカン、ゴヤケ、ペンペンは当時いた開発一部のスタッフのニックネームです。本楽的にはちゃんとした苗字と名前を書くべきだったかもわかりませんが、当時、ふざけてそういう名前をクレジットしてしまいました。

SHINESPARKERS :
「メトロイド」はあなたのキャリアにどのような影響がありましたか。 このゲームを作っていた時に学んだことの中で、どのようなことを他のプロジェックトに応用しましたか。
HIROKAZU TANAKA :

音楽を作る場合、他人に意見に振り回されることなく、自分の感性と勘だけを頼りに自分の耳だけで
作りあげることで出てくる魅力のようなものを知らされた気がします。

SHINESPARKERS :
続編の「メトロイドII RETURN OF SAMUS
はゲームボーイ向けに吉富亮二さんによって作曲されました。あなたは原作のゲームの開発に取り組んでいましたし、ゲームボーイのサウンドチップをデザインしましたが、「メトロイドII」の開発に招待されなかったのですか。他のお仕事もあってできませんでしたか。
HIROKAZU TANAKA :

マリオペイントとかマザー2の開発をしてたと思います。

SHINESPARKERS :
山本建誌さんや濱野美奈子さんなど色々な作曲家が「メトロイド」に取り組んできました。 この二人はあなたの「メトロイド」の音楽を「メトロイド ゼロミッション」にアレンジしました。彼らのアプローチについて、また将来の「メトロイド」にあなたが残した遺産についてどう思いますか。
HIROKAZU TANAKA :

自分は、一番はじめのメトロイドのことしかわかりません。メトロイドの一作目の音楽担当だっただけで、シリーズ化されたメトロイドに関しては全く仕事として全く関わってなかったので、コメントできないです。

SHINESPARKERS :
2017年に、あなたは、ライブショーでの音楽が入っている「DJANGO」と言うソロアルバムを発売しました。長年作曲家として活動してきて、なぜついにアルバムを作ると決めたのですか。またさらに他のアルバムを作る考えはありますか。
HIROKAZU TANAKA :

任天堂を辞めた後、約20年、アニメ、映画「ポケットモンスター」の音楽をたくさん作って来ました。その流れが一段落したので、50歳から都内でやって来たライブ活動のまとめとして作りました。自分の歴史をザツとまとめると、アメチュアバンド時代>ゲーム音楽>ポケモン音楽とやってきて最後にもう一度、プライベートな音楽活動に戻りたい、、と思い、60歳以降の活動のスタートとして記念アルバムです。
自分の音楽人生を20年ごとに区切って考えてて第4段階のスタートです。
次のアルバムも考えてます。

SHINESPARKERS :
田中さん、シャインスパーカーズとメトロイドファンコミュニティーのために、我々の質問に答えてくださり、ありがとうございました。あなたの音楽は四半世紀以上の間残り続け、様々な音楽家の曲に影響を及ぼしましたし、そのことは永久に称えられることでしょう。最後に、ファンに伝えたいメッセージはありませんか。
HIROKAZU TANAKA :

30年以上経っているにも関わらず、未だにメトロイドのファンの方がたくさんおられることに驚きを隠せません。自分は60歳にもなりましたが、今でもファンの方々の言動に勇気づけられ音楽を続け、日本で生活を続けています。この歳になって、このようなインタビューしていただけることをとても光栄に思っています。東京の片隅から、皆さんの幸せを祈りたいと思います。ありがとうございました。

© 2018 Darren Kerwin and Hirokazu Tanaka
Special thanks to Antoine Fantys and Toya Yukawa and RoyboyX
Header image by Benjamin Stewart
Interviewed on 7th August 2018