1957年生まれ。1980年エンジニアとして任天堂に入社。1999年退社するまでにアーケードゲームの開発、G&Wの開発、ファミコン、ゲームボーイの音源開発、ゲームソフトの開発に従事して来ました。1999年退社し、現在は株式会社クリーチャーズの代表取締役社長をやっています。
メトロイドは任天堂開発一部で制作され、たまたま自分は一部のサウンド担当だったからです。
大げさに考えた事はなく、ただただメトロイドというゲーム内容に相応しい効果音の演出、BGMを
作りたい、とだけ考えただけです。
ブリンスタの音楽はゲームのスタート時のBGMであり、メトロイドというゲームの世界に入りやすくするため、他のBGMとは差をつけたいという思いがありました。
なぜ長くいきのこったか?に関しては、ただ最初に流れたBGMだった、、としか言いようがないと思う。
それは翻訳のミスだと思います。そうは言ってなくて、、当時のゲームの音楽はマリオのように基本楽しい雰囲気が主流であり、営業の人とか、そういう人たちからは受けが良くなかったと感じました。そういう風に思われてるだろうなぁ、と感じただけで、会社から直接言われたわけではないです。でも、当時、開発以外の他部署の方々からすると自分達を支えてる商品でありながら、ゲームの中身に関しての理解は薄かったと思います。それは当然で、ゲームソフトの歴史が始まったばかりなので、仕方なかったと思う。
これが好き、あれは嫌い、と言うことはないです。個人的には全て好きです。
自分から検索して聴くという事はないけれど、Twitter などで知らされることが度々あり、そういう場合はちゃんと聞いています。とても光栄に感じるし、嬉しく思います。
制作している時は難しく考えず、とにかく自分の耳が納得するまでプログラムし続けるだけです。
あまりに昔すぎて記憶は曖昧ですが、任天堂の開発1部の部屋、というだけで、特別な環境ではありません。他のスタッフもたくさんいて、その中の数人がメトロイド担当でした。
ほんと、覚えてないです。たくさんゲームに関わって来てるので、メトロイドだけが特別だった事は
ありません。一番大変だったのは、やはり、ファミコンとかゲームボーイの音源の開発でした。
はい、全て自分がつけました。ただただインスピレーションです。
最初の宇宙船が、真っ暗な宇宙を漂ってるシーンにインスパイアーされました。エイリアンの音楽に影響を受けたわけではなく、映画全体を支配してる緊迫感、緊張感、不安感に魅力を感じました。
いつ何が起こるか?わからないようなムードに影響受けました。
んー、これも記憶は定かではありませんが、エンディングを作ってる時、誰かが女性にしたら?と言ったようなきがします。誰だかは覚えていません。
誤訳ではなく、「サカモト」くんは「シカモト」くんであってます。彼は奈良に住んでいました。奈良公園は「鹿」がたくさんいることで有名です。当時スタッフの一部の人は彼を「シカモッチャン」とよんでました。当時の彼のニックネームです。スミ、カチョウ、ヒャッカン、ゴヤケ、ペンペンは当時いた開発一部のスタッフのニックネームです。本楽的にはちゃんとした苗字と名前を書くべきだったかもわかりませんが、当時、ふざけてそういう名前をクレジットしてしまいました。
音楽を作る場合、他人に意見に振り回されることなく、自分の感性と勘だけを頼りに自分の耳だけで
作りあげることで出てくる魅力のようなものを知らされた気がします。
はゲームボーイ向けに吉富亮二さんによって作曲されました。あなたは原作のゲームの開発に取り組んでいましたし、ゲームボーイのサウンドチップをデザインしましたが、「メトロイドII」の開発に招待されなかったのですか。他のお仕事もあってできませんでしたか。
マリオペイントとかマザー2の開発をしてたと思います。
自分は、一番はじめのメトロイドのことしかわかりません。メトロイドの一作目の音楽担当だっただけで、シリーズ化されたメトロイドに関しては全く仕事として全く関わってなかったので、コメントできないです。
任天堂を辞めた後、約20年、アニメ、映画「ポケットモンスター」の音楽をたくさん作って来ました。その流れが一段落したので、50歳から都内でやって来たライブ活動のまとめとして作りました。自分の歴史をザツとまとめると、アメチュアバンド時代>ゲーム音楽>ポケモン音楽とやってきて最後にもう一度、プライベートな音楽活動に戻りたい、、と思い、60歳以降の活動のスタートとして記念アルバムです。
自分の音楽人生を20年ごとに区切って考えてて第4段階のスタートです。
次のアルバムも考えてます。
30年以上経っているにも関わらず、未だにメトロイドのファンの方がたくさんおられることに驚きを隠せません。自分は60歳にもなりましたが、今でもファンの方々の言動に勇気づけられ音楽を続け、日本で生活を続けています。この歳になって、このようなインタビューしていただけることをとても光栄に思っています。東京の片隅から、皆さんの幸せを祈りたいと思います。ありがとうございました。
© 2018 Darren Kerwin and Hirokazu Tanaka
Special thanks to Antoine Fantys and Toya Yukawa and RoyboyX
Header image by Benjamin Stewart
Interviewed on 7th August 2018